情熱を結集し、この土地ならではのうつわを作る
スタイリッシュなラーメンどんぶり、繊細な絵柄が上品な平皿、素朴な風合いのしのぎの茶碗。どんぶりのまち、土岐市駄知町で主に業務用食器を手掛ける昭和製陶では毎日、多種多様なうつわが作られている。
昭和製陶の歴史の始まりは、明治〜大正期の美濃焼陶器商だった初代の加藤宮蔵氏に遡る。その当時、有田焼のような真っ白な磁器が人気を集めており、東濃地方の濃い色の土で磁器を製造しても有田焼ほどの人気を得ることは難しかった。そこで宮蔵氏は「この土の特性を活かしたやきものづくりをしよう」と、美濃焼の研究機関である岐阜県産業課陶磁器試験分室(現・岐阜県セラミックス研究所)の技師らと共に研究に着手。程なくして磁器のような強度と、温かい陶器の質感を備えた全く新しい食器を国内で初めて製造した。
これを商品化し、さらに研究を進めるためにと昭和2年、昭和製陶を設立。製品は「昭陶焼」として販売され、白い磁器ばかりだった市場でこの温かみのある食器が新鮮に映り、宮内省にも買い上げられるほど評判に。後に人間国宝となる加藤土師萌(はじめ)氏らも昭和製陶や研究所を訪れて研究を深め、この食器は「精炻器(ストーンウエア)」と名付けられて戦前、戦中も生産され続けた。アメリカへの輸出が盛んになった戦後の時代には、美濃焼ならではの風合いがアメリカでも好評を博し、たちまち人気に。現地の陶芸家と共に考案した日米合作の「599パティオ」シリーズは大きなヒット商品となり、やがて美濃焼初のグッドデザイン賞を獲得。その後もうつわづくりの技術を培う中で革新的な独自の製品を生み出してきた。