「やきもの生産日本一」を誇る土岐市。400軒もの窯がひしめき、日常使いしやすいものや個性的なうつわを生み出すこの町には、その魅力を伝えようと奮励する人々がいる。
およそ100軒の窯元が残る土岐市駄知町は、室町時代から続くやきものの町。江戸時代にこの地で生まれた陶工・塚本亀吉が伊万里焼風のどんぶり鉢の製造に成功。「どんぶりと言えば駄知」と全国に名を馳せるようになった。大正11年には美濃焼を発展させようと商人が中心となり、駄知鉄道(後の東濃鉄道駄知線)が開通する。昭和30年代には高度経済成長により量産体制も確立し、生産量が拡大。
昭和46年頃は、集団就職をする人々であふれ、一時1Km四方の小さな町の人口は、1万3000人にものぼった。
そして、現代。窯から伸びる煙突や、昭和4 9年廃止された鉄道跡など、往時の面影が観光客を楽しませている。そんな町の佇まいや先人たちの美濃焼への情熱を受け継ぐべく、駄知町の窯元が仲間を募り結成したのが『だち 窯やネット』だ。作り手と買い手との触れ合いを目的に、窯めぐりなどのイベント運営を精力的に企画する。
5月には「だち窯やまつり」、10月には「駄知どんぶりフェスティバル」を開催。どちらも蔵出し販売やグルメの出店があり、買い手が陶工たちと直接触れ合うこともできる。さらに、「だち窯やめぐり」には、7軒の窯元が加盟し、通年窯を開放。ギャラリーでうつわを見て購入したり、職人たちの技や作業風景を目にしたりすることが可能になった。
結成のきっかけとなったのは「窯元が主導で行う作り手のイベントや町の風景を財産とした窯元めぐりをしてはどうか」という発想。
「外へ発信することばかりを考えていたから目から鱗。そうなると見てもらうための場所もいるでしょう?物置だったこの場所をギャラリーにしたのよ」と結成当時からのメンバーの南楽窯の加藤さん。新たな発想に、賛同者は次第に広がっていった。
「美濃焼の魅力は、やきものの種類や技法の幅広さ。この町は特にそれが顕著で面白いですよ」と『だち窯やネット』の事務局を務め、自身も陶工である丹羽哲男さん。
木ではなく、陶器に本漆を施した『漆陶』と呼ばれる、陶器の概念を覆すうつわを制作する宗山窯。人間国宝・塚本快示さんを父にもつ塚本満さんが生み出す快山窯の『青白磁のうつわ』。柔らかな白を際立たせるしのぎの質感が魅力の『しのぎのうつわ』を手掛ける藤山窯。まさに、多種多様。「構えずにイベントや窯めぐりに参加してもらうことで、町を、窯元を、美濃焼を、好きになってほしいんです」。実際に窯に赴くことで、職人たちの技や創り出されるうつわに触れ、より深く、身近に感じることができる。
さらに2015 年からは、駄知線跡にマーケットが開かれ、陶磁器や古着などを販売する「だちせんマルシェ」を新しく企画した。「少しでも多くの人が駄知町に興味を抱き、足を運んでくれるための土壌をつくり定着させる。それが僕らの役割です」。そんな彼らの熱い思いは、生み出されるうつわとともに、人々の心にそっと届いている。