まるで漆の溜め塗りのような奥行きのある色合いと、ガラスのように滑らかな光沢。斬新でありながらも、なぜか手に馴染む風合い。土岐市の美濃焼の“いま”を代表する窯の一つ、カネコ小兵製陶所の3代目、伊藤克紀さんによって生み出された『ぎやまん陶』だ。
創業は大正10年。徳利生産日本一と呼ばれた土岐市下石町で、最盛期には年間160万本を世に送り出したが、平成に入ると売り上げは急落。酒の多様化など、時代の変化により需要が低下したのだ。「しがみついても仕方ない」と生き残りをかけ、新しい商品の開発が始まった。
“食器は誰が使うのか、誰が買うのか”ということに立ち戻り、普段使いがしやすいうつわづくりに注力。さらに見た目も“漆の溜め塗り”のような深みを磁器で表現できないかと思い立った。最初の試作は100個中98個が不良品。「10個もできないなんて、こんな難しいのかと愕然としたよ」。
色ムラや気泡は当たり前、釉薬は垂れ、窯の棚板が使えなくなった。土の種類、釉薬の調合や厚み、焼成の温度、そのどれが原因か分からない。調整に調整を重ねる、まさに出口の見えない戦いだった。
「たくさんある工程の中で一つでも上手くいかないと失敗。でも、原料屋も釉薬屋も、みんな諦めないでいてくれた」。形になったのは3年目。深みのある漆のような色合いを表現することに成功。
その質感と光沢を引き出すために、目を付けたのが日本の伝統的な形“菊型”だった。なだらかな起伏が連なるその花弁の形状は、釉薬が器のくぼみに程よく溜まる。これにより生まれたのが、求めた光沢以上の、驚くほどの透明感。まるでガラスのような質感を損なわぬよう、独自の施釉法も開発。専用のはさみで器を持ち、手首のスナップを利かせ、ふわりと返す。わずか数秒の間に、均一に釉薬をつける技術だ。
焼き上がったときの、その特別な光を放つ存在感と美しさゆえ、ガラスを意味する古い言葉をあてて『ぎやまん陶』と名付けた。今や、小兵といえば「ぎやまん陶」といわれるほどの看板商品となった。
日本の伝統的な菊の紋をかたどった「ぎやまん陶」。食卓を華やかに彩る器たちが、日本の誇りを、次代へと伝えてくれているのだ。
販売から、わずか2年後。ドイツで開かれた世界最大の国際消費財見本市「アンビエンテ2010」で、『ぎやまん陶』は世界デビューを果たす。パリに本店をかまえる老舗ファッションブランドに見初められ、パリでの販売がスタート。さらに巨匠アラン・デュカス氏の右腕として活躍し、今やパリで最も勢いがあるシェフと名高い、ジャン=フランソワ・ピエージュの手に、馴染んだ。「ぎやまん陶で提供することで、私の最も愛するデザートは完成します」。5年以上温めてきたという、彼の渾身のスイーツ「ブランマンジェ」には『ぎやまん陶』が使用されている。
美濃に眠る土、釉薬、そして型づくりをはじめとする陶工たちの技術。
「この土地でしか、美濃焼にしか、できないことだったと思います。これまでにないうつわを生み出す力を持っていることを改めて実感しました」。98%を占めていた徳利の売り上げは、今では2%ほど。それでも窯は、毎日追いつかないほどの忙しさ。挑戦を恐れないその強い意志が、美濃焼の未来を担う、新しいやきものを次々と生み出している。