多くの人に使ってもらえるどんぶりを
美濃焼は明治時代以降、窯の技術革新とともに大量生産化が進み、下石町の徳利、肥田の皿、泉の煎茶椀など、地域ごとに製品の分業化が進んだ。春山製陶はどんぶり生産日本一の町、駄知町に窯を構え、業務用どんぶりを製造する。
創業は昭和33年。岐阜県加茂郡出身の初代・加藤治男さんが窯元の養子として駄知町にやってきた後、窯元で修業し、暖簾分けして窯を開いたのが始まりだ。当初から“駄知はどんぶり”との想いを持ちどんぶりのみを製造してきた。当時作っていたのは淡い藍色で木の葉を描いた染付のどんぶりだったが、治男さんは一部の商社にしか卸していないことが気がかりだった。「もっと多くの人に使ってもらいたい」。その思いから新たなどんぶりの製造に乗り出した。